『冬の涙に温もりを』
──寒い。勢いに任せて家を飛び出したのも束の間。1分も経たずに後悔してしまう自分にさえ苛立つ。
見渡す限り一面の白。何もない雪国のクソ田舎には、雪しか積もっていない。
「はぁー。つまんねー。」
凪のような抑揚でつぶやく。融雪装置でびちゃびちゃになった道路を歩きながら、一切の光の漏れもない団地の隙間をヨロヨロと歩く。幸い、アスファルトは凍ってない。おもむろに、ダウンのポケットから煙草の箱を取り出してみる。嫌がらせのために奪っていった一箱。中には安物ライターと、数本。今なら誰も見てない。まあ見られてたって何にもならないんだけど。
喉を焼きながら、煙を吹かす。気分はこの町一番の悪。なんて言って、未だに煙草の吸い方も分からないガキなんだけど。煙草って、肺まで吸わないと意味ないのかな?
「...…クソまずい。貧乏人の味だな。」
これっぽっちで、一体いくらするんだ。こんなものに出す金があるなら、少しくらい自分にくれたっていいのに。子供の理論。まだ半分以上残っている煙草を足元の新雪に埋める。気分はちっとも晴れやしない。じゃあどうしようか。珍しく酒でも呷ろうか。ポケットにあった手袋をようやくはめながら考える。ここからコンビニまで徒歩8分。微妙に面倒くさい。っていうかお金あったっけ? あれこれ把握するには手が冷えすぎだ。
「あ...…そうか。」
ここで一つ思いつく。あの本にも載っていなかった方法を今日、試せるかもしれない。
打って変わって、両脇の白い田んぼが孤独を誘う。ここは本当になにもない。朝の一歩手前の時間帯。冬はまだ暗く、コンビニの光がここからでも一際目立っている。
目的地をすぐそこに据える。駐車場には地味な軽ワゴンっぽい車が2台ほど止まっている。どうせ年配の人なんだろうな、と思ったところにもう一台の軽。滑らかに駐車した後は予想通り、忙しないおじさんがコンビニに走っていった。
「こんな時間から仕事か。本当、お疲れ様だな。」
独り言ちながら自分もあとに続く。こんなとこでも劣等感を感じるなんて、世の中随分肩身が狭い。自分が勝手に縮こまっているのは今更、目を瞑ろう。
自動ドアが、与太者の入店すら分け隔てなく歓迎する。店員はいつものオネエっぽい男の人。嫌いなんだよな、愛想悪くて。多分気だるげな声がそう聞こえるだけなんだろうけど。
適当にアルコール度数の高い、かつ飲みやすい酒を2本手に取る。度数9%。グレープフルーツ味とピーチ味のリキュール。それと少しの乾物をレジに持っていって、辛うじて財布に入っていたなけなしの1000円札を払う。おつりは適当にズボンのポケットに。会計中、後ろに並びだしたおじさんたちの視線が刺さるようで、自らの矮小さに落ち着かなかった。
30分後。僕はひとり山の中を歩いていた。緩やかな坂道を登っていく。ダウンの両ポケットには、2本のお酒。手には肴。不意に風が吹いて、凍えてやせ細った木々たちが、不気味な音を訴え始める。この道は以前、春先に歩いたことがあるが、今この瞬間は歓迎されてないのが明白だ。寂しいねぇ。
さらに5分ほど歩いた先に、それはあった。前に思わず写真を撮ったくらいお気に入りの、心の片隅にあったベンチ。多少の雪に埋もれていたって見逃さない。待ち受けにもしたくらいなんだ。自分と同じで一人ぼっちな存在。お前、いったい誰のために設置されたんだよ、本当。笑える。
...…言うまでもなく自分みたいな人間のためなんだろう。確信があった。勘違いとも言える。だが吸い込まれるように座ったが最後。もう二度とここからは動けない。
早速一杯目を開けて、グイっと飲みこむ。こういうのは勢いが大事だ。ずっと残っていた喉の焼けた感覚が、アルコールの俗っぽさで上書きされる。煙草なんかより、ずっと美味しい。グレープフルーツは好きじゃないけど、グレープフルーツ”味”は好きだな。肴に買った”さきいか”もペースを考えずに食べる。頭は出来るだけ空っぽの方がいい。むしろ、そう努めないといけない側の人間だった。
...…今頃ヤツ等はどうしてるかな。どうせ呑気に寝てるんだろうな。些細な諍いも忘れようとして。思っている最中、こんな時間には珍しく一台の車が前を横切っていく。ああ、ちょっと期待したよ。あの車が母さんか父さんのもので、俺の事を迎えに来てくれたんじゃないかってね。そうしたら、やっと愛情の一つでも感じられたってのに。やっぱり、自分が変えられるのは自分のことだけなんだよなぁ。他人のエンジン音が遠ざかっていく。こんな田舎じゃあ、車なしでどこにも行けやしない。カスみたいな現実だ。
そこからは親のことなんか一瞬たりとも考えなかった。自分自身についても、現実のことについても、一切。よく、バカにならなきゃ生きていけないなんて言うだろ。あれになったんだよ。おかげで不思議と心地がいい。家から持ってきたくだらない苛立ちの数々が、ここに来てようやく無くなっていく。
気づけば酒は2本目の半分。久しぶりに飲むと案外すすむもんだな。さきいかが無くなったのが寂しいけど。でも、そろそろだ。
普段酒を飲まないのは、健康に気を使ってるからというわけじゃない。まして酔うと泣いたり怒ったりするからと言うわけでもない。理由はシンプルに一つ。眠くなるからだった。いつからだったかな。二十歳になりたての頃はそんなことにもならなかったし、もっと量飲めたんだけど。心が弱ってから酒も弱くなった気がする。この狂った世界に酔えなくなっただけかもしれない。
ほら。また考えてる。空っぽにするって言ったじゃん。なあ? なんて、もうすっかり眠気が目蓋を襲っている。缶は完全に乾いた後。体も温まったことだし、そろそろ寝ようか。
黒のダウンを脱ぐと同時に、空からは白の贈り物。最期にみる景色としては及第点。いや、自分程度にはもったいないくらいかもしれない。薄着でベンチに横たわる。佯狂をやっているなんてわかってる。それでも、見てみぬふりをするのが、大人のやり方だろ?
しばらく僕の前を誰も通らなければいいなぁと、ぼんやり願う。それと同じくらい、誰かに迎えに来てほしいな、とも。
瞼の裏には闇ばかり。瞑っても瞑らなくても、見えるものが変わらないなんて。こんなに悲しいことだったかな。
今はじめて思い出せたよ。もう涙だって流れなくて、凍りついたのがずっとここに残るんだろうね。