君とずっと歩道橋

 夜、歩道橋の上を、いつの間にか君と歩く。

 こんな夜中に聞こえるのは、君のブーツの足音だけ。金属がカンカンと渇いた振動を響かせて、僕をこけおどしている。ここは音だけで距離が分かるほどに静かだから、僕はきっと君の三歩先を歩いていて、君は僕の三歩後ろをついてきている。

 そのブーツは、僕が買ってあげたものだろうか。ちょうどこの闇に溶け込めそうな、そんな黒色の、履き慣れたブーツ。それが地面を蹴る音も僕は覚えてしまった。今も、履いてくれているらしい。

 歩道橋の下は何も見えなくて、天上から注ぐ月明かりが、僕たちの進む両脇の青緑だけを薄ぼんやりと露わにする。星がない空に月はちょうど満月で、酷く黄色かった。

 君と僕の足音だけが響く。いつまでも君はついてきて、僕はいつまでも君の前を歩く。途中、道が二つに別れた。僕は立ち止まった。君も立ち止まった。少し考えて、僕は右を選んだ。そして君も、右を選んだ。

 しばらく歩くと、遠くの方に、廃れた製材所が見えた。右横書きの大きな文字と錆びた白色の鉄板が目立って、中には打ち捨てられた木材と使われなくなった機械らしきものがある。

 突然後ろから、声がした。

 「もう、いらなくなったのね。」

 僕は何も言わなかった。ただこの身をヤスリにかけられて怖気を露わにしないために、歩いた。静寂の時間。

 そしてまた分かれ道が来る。今度は考えずに左を進んだ。きっと君もそうするだろう。この歩道橋の上で、君が僕から三歩以上離れることは未だなかった。それより近づいてくることも、当然。

 僕は歩く。不意に、左の方から視線を感じた。つい顔をそっちにやると遠方に、今度は信号機が見えた。黄色い光をチカチカと点滅させて、しつこく脳裏に訴えかけてくる。知らないふりをしようとしてまた一歩進んだ後、立ち止まる。銀のネックレスを、踏んでしまったからだった。鎖は千切れていた。その有様が、僕にもう一度信号機の方を向かせた。

 信号機の下には、人が倒れていた。あれはそう、女の人なんだ。ここからでも何故かよく見えて、うつ伏せのまま顔だけがこちらを向いている。それでもって、焦点を失った真ん丸の黒は、僕に対して開かれていて。瞳より、長いまつげが光に反射しているから、嫌に精巧に作られた人形みたいで。

 人形は僕に向かって、その口だけを動かした。何を言ったか、分かってしまう。

 「私を、置いていくのね。」

 背後から影がにじり寄ってくるのに気付く。少し風が吹いて、よく知った香水と、鉄っぽい匂いが鼻をつく。僕はまた歩きだした。足元を、冷たい空気が覆いだす。

 無心で歩こうとする。だけど、水音が邪魔をした。後ろから聞こえてきていた。ぴちゃぴちゃと髪から滴り落ちて、ブーツと地面との間からその赤黒さを飛び散らせている。心なしか迫ってくる音の間隔もさっきより速い気がする。僕が、早歩きをしているとでも言うのだろうか。

 それから僕はまた分かれ道にあって、右を進む。廃れた製材所が遠くに見えることには気付かないようにして、尚も歩く。次は左。信号機がもう一度見え始めても、僕は気付かない。

 君の足音は、僕のそれとは重ならなくて、僕たちはそれが解ってない。

 最早、どんなふうに進んでも、関係はない。知っている。いつまで経っても下りの階段が現れることはない。僕は君の中にいて、ここから降りられず、君の姿をした怪物は僕がここから落ちるのを今か今かと待っている。

 後ろから迫って、信号の下で待って、それでも君は、しつこく僕に囁きかけるんだ。

 「愛しているわ。」

 僕は歩く。汚れた手はそのまま。今日も歩道橋の上を。ずっと、君と。

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